Intelは大衆に渋々従った。今度はMicrosoftか!?

祝!AMD64。あのIntelが弱小メーカーのアーキテクチャに従ったのは歴史的な出来事だ。コンピュータの歴史のターニングポイント(何のターンなのか?)と後で思うかもしれない。
これはAMDだけの勝利ではない。AMDは大衆の声無き声に従った。だから採用されたのだ。それがAMD64だと思う。
ItaniumのIA-64に移行するより、はるかにユーザに負担が少ないのがAMD64というアーキテクチャだ。
IntelではAMD64の事を自社ではIA-32eなんちゅうふざけたネーミングにしているが、この名前だけ見ても「くそ!こんな事になるなんて」と思わせるような名前だ。64bitアーキテクチャなのに名前に64を使わないなんて、さぞかし悔しいのだと思う。結局Itaniumはハイエンドのサーバー向けだとIntelは言い訳するしかなかった。本当はパソコンのことを全く知らない初心者でも買ってもらいとIntelは望んでいたのだ。

考えて見れば、パーソナルコンピュータの歴史は下位互換性がしっかり取れていないアーキテクチャは、どれもすぐに廃れて行った。NECのPC-8001シリーズからPC-9801シリーズまではBASICアプリケーションがかなりあり、今のような機械語レベルの互換性はなくても各PCのBASICの互換性がかなりあったからNECのパソコンは普及したのだと思う。
しかし、NECはEPSONのPC98互換機を排除した。NECは独自のMS-DOSにプロテクトをかけてEPSONのPC98互換機には使えないようにした。また俗に言うNEC-SCSIというNEC独自のSCSIでサードパーティを除外する行為をした。
そしてNECの殿様商売は頂点を迎えた。今でも覚えている。PC-9801FAというパソコンを。i486SXの16MHz。「何!?ふざけやがって!」と当時思った。この気持ちは筆者だけではなかったと思っている。何せ海の向こうではエントリーエベルのIBM-PC/AT互換機で486SX25MHzだったからだ。おまけにクロック周波数が1つ前のPC-9801DAと比べて低いのだ。たとえCPUがi386からi486SXにグレードアップしたとしても、クロックダウンすることはケチっていると当時の筆者には思えたのだ。でもNECとしてはDAより総合的なスピードは上だから問題ないと思っていたのだろう。もちろん値段は定価ベースで従来どおりの40万円台と高額だった。
その頃だった。アメリカのPCが来襲してきて急激にIBM-PC/AT互換機が普及し始めた。
PC-98ではおもちゃのようなOSにしか見えなかったWindowsがアメリカのPCでは、解像度が高いのでえらくカッコよく見えたのだ。言うまでも無くそれからのPC98アーキテクチャの衰退は激しかった。
IBMもPS/2でクローズドなシステムにして大失敗したが、コンパックが互換機という市場を作ってそれに乗じたから日本に進出できた。
要するに、アーキテクチャを公開にして、サードパーティが競い合えるような環境になったからビデオやその他の周辺機器の性能が急激に高まり、かつ安くなったのだ。

しかし現在でもCPUとその周辺チップはIntelの独占状態に近い。
そしてIntelは利幅の大きい64bitCPU Itaniumを多数ユーザに買ってもらって更なる利潤を追求しようとしている。ItaniumはさきのNEC-9801シリーズの例からすれば、PC-98XAやPC-9821などの高解像度表示可能なPC-98シリーズに近い位置付けだ。これはItaniumと同じように下記互換性は一応サポートされているが、旧アーキテクチャ(解像度が640*400のモード)はオマケみたいな位置付けであった。
しかし、Intelは彼ら自身が旧アーキテクチャにしようとしているIA-32に対して親和性の高いAMD64アーキテクチャを採用した。これはIntelにとって屈辱的なことかもしれないが、長期的にはIntelの衰退を減じる事となるだろう。これは今のNECのように、あってもなくても大半の消費者としては問題ないPCメーカーに成り下がらないことを意味する。

Intelは多分Itaniumで手痛い失敗を経験していくだろうが、だんだんと消費者の目線に近いメーカーになっていく。今でもPCIバスの規格をロイヤリティフリーにして普及させたのだから、十分その可能性は高い。最近ではデジタル家電に本格参入してCPUのビジネスと同じ手法でデジタル家電の価格破壊を目論んでいるようだから、PCやサーバはもう飽和状態に近いと感じているのだろう。

一方Microsoftもデジタル家電や携帯電話、PDAに食い込もうと努力しているが、コンペティターから旧ソビエト式システム(笑)と揶揄された内部が非公開のWindowsを擁している。
今はLinux陣営に脅かされているが、Windowsの普及度から比べれば全然大した事が無い。
まず、一般初心者がLinuxを使いこなすのには辛すぎる。

そして一番のキモはWin32APIだ。筆者はIntelが過去の遺物にしようとしたx86アーキテクチャに今でも縛られているように、MicrosoftはWin32APIに今後も呪縛されると見ている。
数年後にWindowsXPの後継バージョンが発売してWin32APIから、PC以外の他のプラットホームに簡単に入植が可能な.NET(WinFX)に全面移行させてPCが廃れ様が別のプラットホームに寄生してしまえばいいと言う腹の様だが、そんなにうまくはいかないだろう。
Win16からWin32に移行した時は明らかにユーザにメリットがあったが、Win32APIからWinFXに移行するのはかなりハードルが高い。これはPentiumユーザがItaniumに移行するのが難しいのに似ている。
WinFXのキモはMicrosoftの中間言語(マネージド・コードとか言われている)で構築されていることだ。これはPentiumなどのCPUが直接理解できない言語で、スピードは遅くなるが、他のプラットホーム(PDA,携帯電話など)に簡単に移行できる。

筆者には、これはIntelがItaniumで気負ったのと同じように見えるのだ。
Microsoftの中間言語を全面採用した次世代Windows(Longhorn)は、ソフトウェア開発者がPC以外のプラットホームに簡単に移行できるために作ったのだと思う。でなけば、わざわざスピードの遅い中間言語を使用する意味はない。要するにMicrosoftの中間言語はPCが廃れた時の一種の保険だ。消費者がLonghornを買うことはMicrosoftから一部保険の掛け金を徴収されるようなものだ。
Javaの思想を拝借し、日本の家電メーカーのDVD、メモリカードなどの二次記録装置規格の縄張り争いのように、独自規格でユーザを囲い込むやり方はいただけないし、やめたほうがMicrosoft自身のためではないだろうか?

一般大衆はAMD64のようなアーキテクチャを望んでいるはずだ。Win64という言葉をどこかで目にしたことがある。Microsoftは、独自アーキテクチャでサードパーティを締め出し更なる寡占化を望んで大失敗したNECから学んでもらいたい。WinFXは中間言語でなくCPUがフルスピードで実行してくれるバイナリファイルで提供してくれることを筆者は望む。そしてWinFXはWin32APIか、Win32をシームレスに拡張したAPIを土台にした方がユーザや開発者には負担が少なくて済むのだ。

しかしMicrosoftにはIntelで言うところのAMDのような企業が存在しない。強いて言うならそれはLinux陣営だ。Linuxの1つであるLindowsがどれくらい使えるのか不明だが、Win32APIを完璧にシミュレートするのはx86CPUのインストラクションセットを読めるCPUを作るより大変だと思う。おまけにWindowsには.NETだけではなくActiveXなどの技術がしっかりと根付いている。

仮にMicrosoftが今回のIntelのような苦渋の決断をするとしたら、世界経済がどうしようもなく酷い状態になったときかもしれない。

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